今月もお疲れ様でした。月報のようなものです。
※やったことの欄に希死念慮への言及があります。目次を付けたのでしんどければ飛ばして読んでください。
健康
朝7:30やっと眠りについて一時間も経たずに母親からの電話で目が覚めた。無言が続くため隣の部屋に向かうとベッドの下に倒れている。声をかけると返答があり四肢の麻痺も無さそう。話を聞くにベッドから起き上がる時に眩暈を起こしバランスを崩したようだった。そこからが面倒くさく、病院には行きたがらないのにあれこれ病名をあげて心配するのだ。受付で患者を捌いていた頃を思い出し苦い味が口に広がる。母親が病院に行きたがらなくなったのは家庭環境がぐちゃぐちゃになってから。わたしもそれをきっかけにセルフネグレクトを引き連れているから二人で会話していても埒は開かない。ここまでくると直接的な言葉でなくて母親が一人で外出するのを応援するぐらいしかできないなと思っている。→4月に入って初めてのバンドのライブから「200歳まで生きる」と言いながら帰ってきた。人生こんなもんだろう。
買ったもの
-
ミュージカル『憂国のモリアーティ』Song Collection -Op.4/Op.5-
7月に行われるコンサートの先行申し込みシリアルコードが付いているため購入。CD発売告知と同時の発表ではなく、発売日前ぎりぎりの上記特典発表だった。思いの外売れなっかたのかなと理由を考えるより前に、コンサートに絶対行きたいので買うしかないのだ。資本主義的活動。己の欲望の前には意味がない。7月までに飛行機に乗れて人混みでも息ができるようどうにかする。どうにかするしかないのだわたしがわたしを。このブログを読んでいる人はコンサートが当たるよう祈ってください……
見たもの
-
おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか
原作とドラマ1・2話分を摂取し登場人物の属性がキャラクター性の上に成り立っていることに抵抗を感じたため離脱した。
始まる前に原作も少し読んだ.やりたいことわかる部分もあるけどやり方これで合ってるの〜??と感じるな……個人を語るのか属性を語るのかどっちつかずでまじでひりひりハラハラする
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年1月6日
今でも、属性とキャラクター性、属性と個人については思考を続けている状態で、切り離せない事柄なのは理解出来るが……という段階。わたしにも関する話だからすぐ答えが出るようなものでもないが。
『不適切にもほどがある』に疲れていた頃、おっパンが5話でアウティングについて取り上げる旨の警告を公式Twitterが流していたため、表象に責任を持とうとしている気配を感じ視聴する。
リマインドです。本日放送の第五話では番組後半でアウティングについても扱います。つらい思い出をお持ちの方は無理せず、ご視聴をご検討ください。#おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!#おっパン#先週のポストきっかけでアウティングをググってくれた方がいて嬉しかったです#おっパンP pic.twitter.com/IlXSLWYgHL
— 東海テレビ 土ドラ【公式】 (@tokaitv_dodra) 2024年2月3日
おっパンと不適切〜をまとめて/同様に語るのはやはり不誠実な気がする……たぶん不適切2話みれないし,おっパン5話はリアタイする.それが答えです.
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年2月3日
『不適切にもほどがある』に疲れた理由は、色々な媒体で記事になっているようなこともあるがそれ以上に柿澤さんの貴重な地上波ドラマを飲みくだせないことが強かった。その後はそもそもドラマを視聴できる精神状態でなくなる。
ただ単に今月はドラマが見れないだけかもしれん.好きどやも見れてないし積み重ねを放棄してます.
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年2月26日
3月に入り元気?になったし最終回近いのでどういう結末むかえるのかなと比較的軽い気持ちで10話を視聴。見終わった後にドラマオリジナルの脚本だったと知る。ちょうど共同親権の閣議決定と#IWD2024で家父長制について現実社会に打ちのめされていた時期。大地の父親が旧態依然とした家父長制の象徴として立ちはだかっていることと、その大地の父親に沖田誠が同じ父親として対話を試みる姿に自室でびちゃびちゃに泣いた。
ドラマオリジナルの脚本だったのか~家父長制をここまで描くとは……沖田誠という父親から始まった物語の責任と誠実に向き合ってるなとわたしは思った.#おっパン https://t.co/fLPrkWshlF
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年3月9日
大地くんのお父さんのような父親という存在が今もなお大きくなっていくこの国でわたしは生きていかねばならないという現実と.それでも誠さんのような人と手が取り合えたらという願いと.ぐちゃぐちゃだ~~.リアタイお疲れ様でした.最終回見届けるぞ.#おっパン
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年3月9日
最終回の前には合理的配慮に対しての”議論”がTwitterを席巻していた。権力や差別は、社会構造という核を隠し手を変え品を変えあらゆる場に現れる。誰も他人の人生に責任はとれはしないのに、大地の父親は責任を何度も問う。
大地の父親が誠に「責任をとれるのか」と問うが,他人の人生に責任をとれる人なんているのだろうか(家族であろうと).それでもわたしは,自己責任という責任を他人に貼り付けるのではなく,あなたの選ぶ側にいると示していきたいと思った.自分の意思のままで.#おっパン
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年3月16日
沖田家は家父長制による支配を解体してそれぞれが選択した家族になった印象."家族"にしても"友だち"にしても言葉が答えではなくてその輪郭を掴む話にできたのは連ドラだったからなのかな~.最初は合わないと思ってたけど最終オリジナル2話がわたしにハマった.#おっパン
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年3月16日
全話を通して視聴できたわけではないが、連続ドラマをリアルタイムで視聴しながら自分の感想を持ち言葉にした。インプットとアウトプットを繰り返す力を少し手に入れられたような気がする。
-
ミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.5 ー最後の事件ー
昨年8・9月に公演があったモリミュOp.5の円盤が届いた。出会いは退職し実家で暇を持て余していた頃。
小説の神様を見て九ノ里正樹にやられ、佐藤流司くん経緯で舞台俳優にひかれていた自分を思い出し(8.9年前)その当時1番好きだった鈴木勝吾くん元気かなって調べてたらモリミュ沼にゴロゴロと落ちた(ここ1ヶ月の話)
— 塩 (@shiopan218) 2023年8月28日
まだLDHに漂流していた頃のアカウント
内容の良さは調べれば沢山の人が言葉を尽くしているのがすぐ出てくる。それだけ熱心な客層なのだ。ただ、わたしが一番惹かれた理由は、勝吾くんの居心地が良さそうだったから。ひいてはカンパニー全体に言えることだ。舞台作品なのだから舞台にあるのがすべてだろう。だがあの時のわたしー残業前のミーティングで上司から告げられた一言に(もう何を言われたか覚えていない)この職場で発する己の言葉は無いのだと絶望して辞めたーは、インタビューを読み「おももく」や「2.5次元ナビ」等を見て対話の上で創作が行われていることに酷く安心したのだ。お気に入りのインタビューはこれ。https://www.marv.jp/special/moriarty/moriarty-2/interview.html
平野 僕以前、千秋楽を終えた後にスタッフさんから「本当にどうでもいいことについて、細かいよね!」と言われたことがあって。
一同 (笑)。
平野 すごいショックだったんですよ! だって、俺にとっては全然どうでもよくないことだったから。
鈴木 うわ~、分かる分かる。
西森 うんうん。
平野 僕としては、気になったところを滑らかにしたつもりだったんだけどなぁ…って。
鈴木 何に重きを置くのかは、演出家さんによっても違いますからね。打ち上げで「お前はなぁ」って言われるの、僕もすごく分かります。
この件が当時のわたしを癒し、"真摯に諦めの悪い"演出の西森さんが相槌を打つ環境が羨ましかった。(西森さんはわたしが中退した高校に居た学びきれなかったことが今でも悔しくて夢に出てくる国語教師に似ている。西森さん自身も教鞭をとっていたことを後に知った。)わたしは勝吾くんと良さんをW主演という形にしたモリミュが本当に大好きだ。
やっぱり良さんと喋ってる勝吾くんが好きすぎる.二人の会話が本当にツボなんです.(もっと見たい…)
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2023年12月17日
たぶん言葉に諦めがないからかな.優しく拾うのも違うとツッコむのも(極端な話)相手に対して何かを放棄している部分があると私は感じていて.それが二人には無い.私は往々にして諦めるし諦められたなと感じる事が多くて,二人の会話が羨ましいんだな.
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2023年12月17日
裏を返せば二人はここに来るまで数え切れないほどの諦めがあってそれでも受けたり伝えてきた人間なんだろうな.お芝居に関わらず.凄いな~仲が良いからとかそういう次元じゃなくて上記の人間同士から生まれる会話だから好き.(理解)私も言葉を持つことを諦めたく無いですね.
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2023年12月17日
ジャンプフェスタ2024での一幕にて。「Hey,Siri!と言ったら聞けるんだね」「アレクサかもしれないじゃん」「それは各家庭に合わせて」の流れ(要約)に感動したオタク。
-
ミュージカル「DREAM!ing~FUN!:C'est la vie〜」
舞台俳優を見るようになって一番嬉しかったのはDREAM!ingに出戻ることが出来たこと!
DREAM!ingとは下記に引用したようなアプリゲームでメインストーリーは四部構成となっている。DREAM!ingはドリミと呼ばれ、Dミュはミュージカル作品の略称だ。
東雲学園の首席を決めるため、 新たに導入されたのは「ゆめシステム」
首席候補生たちは2人1組になって、ゆめの中へとログイン。
心の内側をさらけ出す 「ゆめライブ」を魅せることで全校生徒の支持を集めるとともに、
心の底に眠る本当の自分を目覚めさせていく。
わたしにとって二次元のキャラクターを好きになれるという点で唯一無二の浅霧巳影が主人公の二部にあたるRD(前作)を視聴し、今まで"人間がキャラクターを演じること"を見てきたわたしは"キャラクターが人間になること"に雷のようにうたれた。
今までは役者/ドラマ→漫画/二次元を通して"人間がキャラクターを演じる"事を見ていたけど Dミュはその逆で"キャラクターを人間が演じる"事を目の当たりにした作品になった この感動は何にも変え難い感覚だし一生忘れないんだろうな https://t.co/KYtGUsk2J2
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2023年11月24日
"キャラクターを人間が演じる"ではなくて"キャラクターが人間になる"が近しい https://t.co/PqKJ3SFtfu
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年3月17日
自分は根本的にキャラクター(二次元の人)を多面的に好きになれない人間だから浅霧巳影は本当に稀有な存在でもう出会いないと思う
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2023年11月24日
三部にあたる今作は「人生に、夢は必要かー」という問いに答えを出していく物語。牛若湊役の遊馬くんの共鳴力が素晴らしくてその柔らかく強い波が舞台に広がっているようだった。Dミュは舞台になりより一層人間の質量を感じられて苦しいからこそ面白さが積み重なって何度でも見たくなる作品。DMM TVで過去作も合わせて配信してます!見てね!DREAM!ingの重さはわたしにとって掛け布団が重いほうが安心して寝られるそのような重さである。四部が白石くんの虎澤一生/塚本くんの浅霧巳影で上演され、わたしが観劇出来ることを祈ってください……(二度目のお願い)
柴咲真也役の宮本くんが本番直前で降板になった。
ミュージカル「DREAM!ing~FUN!:C’est la vie~」
— 宮本弘佑🎮コウスケ. (@kosuke_staff) 2024年3月30日
千秋楽おめでとうございます。
勇大、繋いでくれて本当にありがとう。
橋本真也でした。
ただ
下克上のげんだけは宮本真也は許さない←#Dミュ カンパニーは本当に素敵です。
書きたいことは沢山ありますが、まとめました御一読頂けると幸いです。 pic.twitter.com/kn2H3uj2ew
宮本くんは持病によるものだったが、病気やパワハラ等に耐えられるといった身体的/精神的負荷に強い人間だけが舞台に上がれるマッチョさが少しでも減っていってほしいと改めて思った。湊が針宮総理とのパネルディスカッションで述べた事柄(「一部のできた人間が勘違いを生む。努力だけで勝ち取れないときは?いろんな色を知りたい。(抜粋)」ぜひ湊がこの発言に至るまでを見てほしい。ドリミ/Dミュは過程が醍醐味なので。)があるDミュだからこそ宮本くんの真也に会いたいし、何より四部の巳影と真也が喫茶店にいるシーンが大好きなので元々同じ事務所にいた関係値のある塚本くんと宮本くんで絶対に見たい。よろしくお願いします。
聞いたもの
-
【061】変 ―ニュース!オモコロウォッチ!
原宿さん「家父長制の打破!」、恐山「殺す担い手は女性ばかり」という相槌、永田さん「思想が政治性が強い」という相槌。
正確な内容は動画本編を聞いてほしいし、三人の動画内での立ち回りは説明しない。わたしは恐山のような相槌が打てるようになりたい、と思ったことを残しておく。
読んだもの
-
家庭がどろどろになっても、性別ぐちゃぐちゃでも、薬飲みまくってもたとえ体腐らせても私みたいのはここに呑気に突っ立ってるからね。この世に居座ってやろうね。
家庭がどろどろになっても、性別ぐちゃぐちゃでも、薬飲みまくってもたとえ体腐らせても私みたいのはここに呑気に突っ立ってるからね。この世に居座ってやろうね。
— 志賀玲太 Shiga Reita (@Petzvaled) 2024年3月6日
いつでも読み返せるように手のひらに彫りたい文章。志賀さんとの出会いは下記の通り。
RT一年前,志賀さんの『おもしろいはなし』を読み,他人は同じ境遇同じ感情を共有できないけれど心が運ばれていった軌道が似ていることが救いになるのだなと泣きながら思った.それからも折りに触れて軌道を確かめてくれる.あなたも生きていて. https://t.co/UglPxh5y5e
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年3月15日
-
「結婚の自由をすべての人に」訴訟(同性婚訴訟)札幌高裁判決全文
お待たせしました!
— 「結婚の自由をすべての人に」訴訟 訴訟進捗・資料のCALL4掲載情報お知らせ用 (@CALL404169270) 2024年3月14日
札幌高裁判決です。
判決全文 https://t.co/8wNDPRqx6j
判決要旨https://t.co/znWH9Kv9al#札幌高裁0314 #w判決0314 #結婚の自由をすべての人に #いざ傍聴 https://t.co/hhnF7HpJ8j
裁判の判決文を読んだのは恥ずかしながら初めてだったが、とりあえず読んで!話はそれから!となる判決文だった。日本語を、判決文を、読む、ことが出来るという特権性を振りかざすことになるが、それでもわたしは読むことを選び同じ特権性を持つあなたに読んでくれとお願いする。
-
DREAM!ing メインストーリー第3部 | 360Channel
上記で視聴したDミュの原作にあたる三部。Dミュ前後どちらで読むか悩んだ末に読みたい気持ちが勝った。
FCを見て三部を読むか,三部を読んでFCを見るかず~~~っと悩んでるけど直感が三部読めと言っているので三部読もう.
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年3月23日
わたしドリミ読んでる❕❕❕❕という興奮が脳みそいっぱいになるような三部だった.文字に追いつけない…っとなりそうなギリギリで思考が拓けていき流れ込んでくる言葉たちが持ってくる言葉にならないものを手にとれる.それがドリミを読んでいる喜びだなと思った.
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2024年3月24日
Twitterにのせなかった感想としては、針宮の前で紫音ちゃんは女性であると偽ったのではなくて振る舞ったと考えているわたしにとって、偽りではなく振る舞いとして針宮が受け止めたことに信頼がおける物語だった。(わたしには、「メモリアルブックでCPとADが紫音ちゃんの着用する下着への言及や身体的な胸に夢と希望が詰まってるという発言とその文末に(笑)がついていることに茶化しているようで嫌悪感を覚えた。 完璧な話の流れが載っているわけではないだろうが……。 SDが相槌を打っていないことには救われた。」という背景あり)
ー貴方への恋を過ちにするはずがありませんー
針宮藤次を信頼しています……
やったこと
-
#IWD2024に寄せて
☀️,11℃ #日記
草冠と母を繋げるもの
政治的な家族
政治的な性別
政治的な生活
わたしの身体はわたしが決める
#IWD2024
意思表明を行う際、連帯を表す術としてハッシュタグを活用してきたがもうそろそろ+αで自分の言葉をのせたいと思い投稿した。ちょうど食べていたイチゴの漢字”苺”の成り立ちが気になり調べるとセクシズム的だと感じた。トランスジェンダーとりわけトランス女性に対する差別は苛烈をきわめている。わたしにあらゆる差別が見えているわけではないことを受け持ったうえで、わたしは、ジェンダー差別に反対すると共にトランス女性を含むあらゆる女性差別に反対する。何かのきっかけでこの文章を読んでくれているあなたへ、苛烈さに身を投じる前に”疑問”があればこのサイトを読んでください。トランスジェンダーに対するよくある質問(FAQ) – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp
-
雑誌の切り抜き
セブンオーダーが好きなフォロワーさんへ手持ちのアイドル誌からまだ7人組でもない彼らを切り抜いて送った。2015・2016年あたりの彼らの言葉を2024年に応援している人へ届けることができた嬉しさと、人間を見続けていく力強さに元気をもらった。新会社設立&CEO就任おめでとうございます!ますますのご活躍を祈っています。
-
投票に行く
県知事選挙が行われたため土砂降りの中投票してきた。何か月ぶりかの外出であったし、当時喧嘩中であった母親と出くわさないよう遠回りして会場まで歩いた。具合が悪くなるほど疲れたが、帰りに自販機で買ったリンゴジュースが五臓六腑に染み渡る美味しさで行って良かったと思った。
-
娘としての遺書を書く※
わたしである前に、女性である前に、娘であらねばならない人生だったなと気づいたことと生理が重なり希死念慮に苦しんだ。わたしはわたしの希死念慮しか分からないのだが、死にたさに殺されるようで涙が止まらなくなる。かといってタナトフォビアに手綱を握られている人間なので突発的な自傷行為ができない……そうだ遺書を書こう!小学生のような稚拙な文章だったが解放されたかったため、匿名でネットに放流した。「またな」と付いたコメントを読んだとき娘として死ねたような気がして楽になった。
所感
対話という言葉を意識したのは、ドラマなら恋の感想を書いたうえで原作者の言葉を読んだとき。
自分を開示すること/他人と会話すること を凄くすごく丁寧に繋いでいて なおかつ2人だけの世界ではなく、すれ違う人と肩がぶつかるような世間からの眼差しもそこにはあったからこそ この世界に龍司と天が生きている時間の移り変わりがとても愛おしい作品でした#ドラマなら恋#君となら恋をしてみても
— ㎜🤍㎜ (@imymillimine) 2023年11月2日
#ドラマなら恋 を通して改めてなら恋は開示して対話していく物語だと思いました。
— 窪田マル (@k_b_t_r_m_r_) 2023年11月3日
相手のすべてを理解しなくても、その人が大切にしていることを一緒に大切にしていくことができるふたりでいて欲しいです。そう描いていきたいです。#君となら恋をしてみても #IfItsWithYou
原作者が会話ではなく対話と記載しており、会話と対話の違いとは何か気になった。家にある辞書を引きそれでも輪郭が掴めずに検索していると平田オリザ氏のインタビュー記事に出会う。
そっか。わたしが職場で絶望したのは対話を諦められたからだったのか。読書や映画やドラマ、舞台を見ることも対話であり、感想を書くことで自己開示にもなる。やりたいこととやっていることが繋がりそうだと信じ歩いてきた。そこで、大切だったものを手放す今もあるがそうやって過去に捨てたものを拾いに行く今もあるのではと思い至った。退職してからこの3月までの一年間は過去に捨てたものを拾ってきたのだ。あの頃こぼれ落ちた自分と生き延びた自分を繋ぎ合わせられた3月だった。